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大阪地方裁判所堺支部 昭和52年(ヨ)217号 決定

申請人

大庭直行

右代理人弁護士

大江洋一

(ほか五名)

被申請人

丸十東鋼運輸倉庫株式会社

右代表者代表取締役

新楽茂樹

右代理人弁護士

安藤純次

角谷哲夫

主文

一  被申請人は、申請人を被申請人会社大阪営業所の従業員として仮に取り扱え。

二  被申請人は申請人に対し昭和五二年七月から本案判決確定に至るまで毎月八日限り毎回金二五万三六八〇円を仮に支払え。

三  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一  申請人は「一、申請人が被申請人の従業員としての地位があることを仮に定める。二、被申請人は申請人に対し昭和五二年六月以降毎翌月八日限り金二五万三六八〇円を仮に支払え。三、申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、その申請理由として要旨次のとおり主張する。

(一)  申請人は昭和五〇年一〇月二日被申請人会社大阪営業所の運転手として雇用され(本採用は同年一二月二日)、被申請人会社(以下「会社」ともいう)の運送業務に従事してきたものであるが、会社は昭和五二年六月一〇日付で申請人を懲戒処分としての諭旨解雇処分に付した。しかし、右解雇の意思表示は以下に述べるとおり無効である。

(二)  会社の解雇通告書によると、会社は本件解雇理由として、申請人が〈1〉昭和五二年五月二八日の職場安全会議に関する大阪営業所長の出席命令に従わず、また同所長に対し暴言をはき暴行を働いて職場秩序を紊乱したこと、〈2〉右に関して大阪営業所長の始末書提出を命ずる業務命令に応じなかったこと、〈3〉同年六月三日の岡山支店長の出頭命令に応じなかったこと、〈4〉同月四日の懲罰委員会への出頭を命じる業務命令に応じなかったことを挙げ、〈5〉処分の背景事情として従前から申請人が上司の指示に従わなかったり業務遂行上落度があったことなどを列記しているが、これらはいずれも解雇理由となりうるものではない。

すなわち、右〈1〉の点は、大阪営業所において月一回程度就業時間外の午後六時頃から営業所長の主催によって開催されている職場安全会議が当日予定されていたが、同会議は、時間外に、時には午後一〇時半ごろまで延々と続けられるものであるにもかゝわらず、簡単な食事の支給がある程度で時間外手当も支給されず、本来その性質は全く任意的なもので業務命令によりその出席を労働者に強制できないものである。申請人は当日の会議の開催が遅延していることにつき所長に注意を促したのであって、その過程で暴言を吐いたとか暴行を働いたとかいう事実はないし、申請人が会議に出席しなかったことをもって業務命令違反ということはできない。

〈2〉の点は、始末書提出を求める理由が右〈1〉点に関するものである以上すでにその根拠を欠いているものであり、懲戒処分としてならそれ相応の手続を履践すべきであって、営業所長が単独に始末書提出を求めうべき根拠はない。従って、所長の始末書提出命令なるものは、事実行為としての要求に過ぎず、強制力を有する業務命令たりえないものである。

〈3〉の点については、岡山支店長からの出頭命令なるものは存在しない。事実は、六月三日に大阪営業所長から岡山支店長のところに行くよう申請人に申入れがあったが、その際申請人が前記職場安全会議の開催をめぐる申請人と所長とのトラブルに関してであれば、申請人のみでなく申請人、営業所長双方から事情を聴くのが相当ではないかと答えたところ、営業所長は、それなら明日にでも岡山支店長に来てもらうことにしようと言い、結局同日の岡山支店への出頭は沙汰止みとなったのであって、結局、業務命令自体が不存在で、懲戒の対象とはなりえない。

〈4〉の懲罰委員会への出頭を命じる業務命令なるものは、業務命令として無効である。すなわち、懲罰委員会を岡山支店において昭和五二年六月四日午後二時に開催する旨が申請人に通知されたのは、同日の午前一〇時ころ大阪営業所においてのことであり、申請人が同委員会に出席することは時間的距離的に困難であり、まして申請人としての準備をする時間的余裕は全くなかったのである。このように短時間の予告のみで懲罰委員会の開催が決定された例は被申請人会社においてもなかったことであり、このような異例の取扱をしなければならない必要性は毫もない。このような出頭命令は、権利の濫用に該当し無効といわなければならない。また、懲罰委員会への出席は、被懲戒者の利益のためのものであり、機会を与えたのに参加しないことが、被懲戒者の不利益に働く場合があるとしても、業務命令によって出席を強制される性質のものではなく、従って本件懲罰委員会への出頭を命じる業務命令は無効である。

〈5〉の会社が背景事情として述べる点は、いずれも過去のさゝいな問題や、すでに解決ずみのことを持ち出して殊更誇大に強調するものであって、いずれの事由も懲戒事由には該当しないものばかりである。

以上のとおり、本件解雇理由として被申請人が挙げる事由はいずれも理由のないものであって、本件解雇は無効である。

(三)  また、本件解雇は、申請人の労働組合活動を嫌悪してなされた不当労働行為であり、無効である。

被申請人会社には、その従業員で組織している丸十東鋼運輸倉庫労働組合(以下「組合」という。)があるが、従来役員立候補者も余りなく、必ずしも労働者の利益を守るに十分な活動をしてきていなかった。申請人は、組合が真に労働者の利益を擁護する民主的階級的な労働組合に強化されることを願う立場から、昭和五二年二月から大阪営業所選出の執行委員に就任し、同年三月の春闘に向けての執行委員会では、ベースアップ中の基本給繰り込み部分を増加させるべく問題提起し意見を述べた結果、組合としてベースアップ分の七割を基本給に組み入れることを会社に要求することが決まり、また、組合要求のベースアップ分のうち二分の一を秋に繰延べ実施したい旨の会社提案に対しては先頭に立って反対し、更に大阪営業所においては、職場のレクリエーション備品の購入整備を会社に要求してこれを実現させるなど、同営業所労働者の団結のかなめとしての役割を果してきた。

このため、被申請人は、申請人を急進分子として嫌悪し、団交の席上申請人に対し恫喝的言辞を弄し、特に昭和五二年五月ころには、大阪営業所長が申請人に対し「全自運の会議に出ていると聞いているが本当か」「うちの会社はユニオンショップだからそういうことがあると解雇されるから注意せよ」と申し向けるなど、階級的、民主的労働組合運動を進めている全自運の影響力が職場に及ぶことに対して非常な警戒心を持っており、隙あらば申請人を排除しようと狙っていたもので、申請人の組合活動が活発に行われ、組合をも動かしていくことを如実に見せつけられたため、口実をもうけて、申請人の同調者が増えないうちに真に労働者を守る労働組合運動の芽を先制的に摘み取ろうとしたのが、本件解雇に外ならない。

(四)  申請人は、会社から毎月末日締め翌月八日払いで賃金の支払いを受けてきたが、本件解雇前の平均受給賃金は月額金二五万三六八〇円であった。申請人は、妻と三才の幼児をかかえ、会社から受ける給与のみにて生活する労働者であり、格別の資産もなく、本件解雇によってたちまち自己及び家族の生活に支障を生じるに至ったので、本申請に及ぶ。

二  当事者間に争いのない事実及び疎明資料によって一応認められる事実を綜合すると、申請人と被申請人の関係及び被申請人が申請人を解雇するに至った経緯はつぎのようなものであることが認められる。

1  被申請人は、横浜市中区南仲通に本店を置く丸全昭和運輸株式会社の子会社で、貨物運送事業、港湾運送事業、倉庫業、海上運送事業等を営業目的とし、岡山、水島(倉敷市)、東京に支店を設けて業務を行っているが、このうち貨物自動車による運送事業については岡山市下中野三九五番地の五に会社代表権を持つ常務取締役を常駐させて専ら同所で本社業務を行うと共に、同所に岡山支店を併設し、同支店の管轄下に大阪営業所を堺市鳳北町九丁四八三番地に置いている。大阪営業所は、昭和五二年六月上旬現在、所長、所長補佐(営業所内では所長代理と呼ばれ、配車担当)、倉庫管理係、一般事務員各一名と、自動車運転手九名(申請人を含む)という陣容で、以上の一三名で、大型七台、小型三台の貨物自動車を備えて陸上貨物運送業務を取り扱っている。

申請人は、堺職業安定所の紹介により、昭和五〇年一〇月一日付で被申請人会社大阪営業所の運転要員として入社し、二ケ月の試用期間を経て同年一二月はじめ本採用され、以後運転手として貨物運送業務に従事してきたが、昭和五二年六月一〇日大阪営業所において、岡山支店長から、会社代表者作成名義の「諭旨退職通告」書の読み上げ交付を受け、同時に退職金、解雇予告手当等の提供を受けたが、申請人は右懲戒処分に異議をとなえて右予告手当等の受領を拒絶した。

2  会社の解雇理由とするところは、申請人に交付した右通告書に詳しいので、その記載を引用すると、つぎのとおりである。

「貴殿は昭和五二年五月二八日夕刻、大阪営業所に於ける職場安全会議の開催時刻が遅延することに不満を抱き、此れを端緒に貴殿の激情的性格をあらわに、会社のあり方がすべて気に喰は(ママ)ぬ等の暴言を所長に浴びせ、事務所内を居丈高に徘徊し、タコメーターチャート紙の保管籠を所長に押しつけ更には所内の職員用の二、三の事務机の引出しを勝手に開けてメモ用紙を探索する等の行為に出た。その後貴殿は上記安全会議の開催が間もないにも拘らず、所長に向い「一度帰宅するから所長は会社に居れ。帰ったら所長の自宅へ押掛けるからな」と脅迫的捨てゼリフを残して安全会議の出席を拒否して帰宅した。

斯様な行為は所長の命に反抗し、業務を自ら放棄し且つ職場の秩序を乱したもので、傍若無人、言語道断の振舞いを恣しいままにした背徳行為である。

その後六月二日に至るも貴殿は上記言動に関し陳謝の意が全くなく、トラック乗務を希望したので、職場規律の保持と運行上の安全確保のため、所長より貴殿に対し、会議出席拒否と職場秩序紊乱の二点に絞って始末書の提出を求めた処、貴殿は始末書など提出する必要はない、自分は何も悪いことはしていないと極めて反抗的態度と自己本位の非常識な見解を示し、職制を軽視して業務命令に違反した。

六月三日には情況聴取のため、岡山支店長が出頭方命令したにも拘らずこれを拒否した。同日は午後六時より労組の会議があり貴殿は出席して居るから時間を繰り上げて岡山へ出張し岡山支店長と面談する時間的余裕は充分にあった訳で、この点でも職制を軽視し、思い上った不作為な行動であり業務命令に違反した。

更に六月四日、社内労使委員の構成による懲罰委員会への喚問通知にも応ぜず出頭を拒否し業務命令に違反した。

従って五月二八日以降業務命令違反は四件となり、職場の規律の保持と業務の円滑な運営を期するためには、貴殿の斯様な行動を容認することは出来ない。

六月七日に、再度通知した処貴殿はようやく懲罰委員会に出席した。然し乍ら、前記五月二八日以降の情況に就いて貴殿が陳述する様発言の場を与えた処、安全会議出席拒否と職場秩序紊乱の事実を書面に会社より本人に提出して欲しい、それがなければ陳述しないとの提案が貴殿よりあった。書面にて提出して慾(ママ)しい理由は何かと小職が質問したところ、貴殿はその理由を明らかにすることも出来ず、頑くなな態度でその提案を撤回せずに意味もなく固執し委員会の情況聴取の議事進行を意図的にいたずらに妨害せんとした。委員会としては止むなく、同時に喚問した所長より当時の情況を再度(六月四日聴取済み)に渉り日を追って陳述して貰い、これに関し貴殿の修正希望なり補足説明を求めた処、貴殿は前記の書面の提出方を要求固執しつつも断片的に陳述したのみで、情況の解明に関し極めて非協力的であった。又事実の認定には見解の相違だとかニュアンスの違いだとか、ノラリクラリとした表現で応答し、公正な判断を下し度いと願う各委員を小馬鹿にした言語道断の言動であった。

委員会の事情聴取の間の貴殿の言動から察知出来ることは、貴殿が自己の非を全く顧みない独善と思い上りの思考を基礎にした非常識の人物であることと当該委員会を侮辱することに終始した事である。

過去に戻れば、貴殿は昭和五一年一〇月三日広島県尾道に於ける交通事故で事故の相手に暴行を加え暴行罪で起訴され岡山支店長の嘆願により四八時間の拘留から解放され、罰金一〇、〇〇〇円の実刑処分に附せられた。この事件で社内の懲罰委員会に於て、貴殿の今後の改悛に期待し善良なる社員として再起するための機会を与えてみようとの委員会の前向きの判断で寛大な処分に止めた処であった。

然しその後の貴殿の行動の中には次の様な反抗的行動や業務命令違反の事実があって一向に改悛の情が現れていない。即ち五一年一一月頃まで会社で禁止したにも拘らず社有トラックに無線装置を勝手に取付け、仲(ママ)々これを除去せずに居た。五二年二月一四日雨濡厳禁の積荷のシート掛けを二枚掛けるべく指示した処、これを拒否し、止むなく監督職員が二枚目のシート掛けを行った。五二年五月二四日積荷のトラック計量をせずに帰宅し、ために他の乗務員が代行して計量した。その他に送り状を持参せずに運行したり、着地荷卸の指定時間を無視して荷卸を行う等々である。

以上種々貴殿の目に余る非常識な言動や仕事振りからして、当社の社員として不適格であり、職場、職種の如何を問は(ママ)ず、当社として社内規律の保持と安全作業の遂行の二点から貴殿を引続き雇用する事は出来ない。

依って会社は貴殿を下記の通り処分し、茲に通告する。

一、昭和五二年六月一〇日付にて貴殿を諭旨退職にする。

二、この処分は昭和五二年六月七日開催の懲罰委員会の決議に則り会社が決定したものである。

三、この処分の適用條項は、労働協約第三八条三項及び就業規則第六三条三項である。」

申請人に告知された解雇理由は以上のとおりであるが、右通告書に摘示されている労働協約三八条と就業規則六三条はほぼ同文の規定で、「組合員(従業員)が次の各号の一に該当するときは、懲戒解雇に処する。但し、情状により減給、出勤停止、降格、又は諭旨退職に止めることがある。」として一号から一〇号までの該当事項が列挙されたのち、「諭旨解雇は始末書を徴し退職手当を六〇%に減額する。」と規定されており、右該当事項の三号(通告書で三項というのは三号の誤記と認められる)は、「職務に関し上長の命に抗し、又は越権専断の行為によって職場の秩序を乱し、或は業務に重大な支障を与えたもの。」となっている。

3 会社の解雇通告書において主要な業務命令違反、秩序紊乱事由とされている昭和五二年五月二八日以降の事実経過の概要はつぎのとおりである。

会社は従来から車両事故その他の労災事故防止対策の一環として、本部に従業員代表をも加えた安全衛生委員会を設置し同委員会で討議設定した安全運動目標及びその実施要領等を各事業所の末端従業員に周知徹底させるために、各事業所の責任者に年四回の定例及び随時の職場安全会議を開催させ、従業員に対し当面の活動目標や実施要領を説明したり目標達成の成否を従業員相互間で討議点検させるシステムをとっているが、昭和五二年五月の安全衛生委員会では末端従業員の自主的な盛上りによる安全活動を企図してグループ別自主活動を推進するという方針が打ち出されたため、大阪営業所長の松沢宏明は、五月二六日頃、その活動要領の説明等のため、同月二八日(土)午後五時から職場安全会議を開催する旨営業所の黒板に掲示すると共に翌二七日にかけて口頭でも各従業員に出席するように伝えた。

就業規則では、被申請人会社の就業時間は午前八時三〇分から午後五時までが原則となっており、大阪営業所の職場安全会議は終業後の午後五時から開くという建前になっていたが、実際には、運転業務に従事する従業員が五時までに帰着しないことが多かったため、帰り揃うのを待って六時頃から開催されるのが常態で、その会議時間は普通一、二時間だが、遅いときは午後一〇時頃に及ぶこともあった。

五月二八日の会議開催当日、申請人は午後四時過ぎころ業務を終えて営業所に帰着し、自己の乗用車の中で待機していたが、五時までに帰着した運転手は申請人を入れて四人ほどであったため会議の開催が例の如く遅れた。当日都合があって早く帰宅したいと思っていた申請人は、会議の開催が遅れるのに激しいいらだちを覚え、会社支給の夕食をとったのちの五時四〇分ごろ営業所事務所に居た松沢所長のところに行き、同人に「今日は何をするのか」と語気鋭く迫った。突然怒気を含んだ言葉をあびせられた松沢は、申請人の物言いにムッとして、そんな物の言い方はないだろうと言い、物の言い方をめぐって両者の間に若干のやり取りがあった後、これから会議で説明するのだから皆んなが帰って来るまで待てという松沢所長に対し、申請人は「会議をやるのならやる、やらないのならやらないとはっきりしてくれ。時間外手当も貰っていないのにいつまでもだらだらされては困る。だいたい皆んな勝手すぎる。五時に帰えろうと思えば帰えれるのにわざとぐずぐずしているのだ」という趣旨の不満を述べた。これに対し松沢所長が「交通事情やその他で帰ってくるのが遅くなることは君だってあるだろう。もう少し広い気持で待ってやったらどうか」と言ったところ、申請人は、「俺はそんなに人間が出来ていないからこれ以上待てない。絶対皆わざとぐずぐずしているのだ。俺は五時より遅れたことはない、嘘だと思うなら調べてみろ」と近くの机上にあったチ(ママ)ャコメーターグラフの保管籠を取り上げて松沢所長に押しつけるようにし、松沢が何がそんなに気に入らないのかと言ったのに対し「会社のやり方も気に入らんし従業員も気にくわん。だいたい所長に管理能力がないから従業員もなっていないのだ」というようなことを言ったため、さき程来の申請人の言動に腹を立てていた松沢は、「そういうことを言うのは君だけだ。そういうことをいうなら好きなようにしろ。君とは考え方が違うんだから、一緒に仕事をすることはできない。明日から来なくてよろしい。やめてくれ。」と言った。そこで申請人は、それは解雇ということかと質し、「そうだ」と答えた松沢に対し、事務所内の二、三の机の引出しを次々あけるなどして用紙を捜したのち紙片を突きつけて「解雇だというのならこれに書いてくれ。署名捺印したものをくれ」と要求し、書け、書かぬで松沢と応酬したが、結局松沢が書かなかったため「一寸家へ帰ってくるから所長は会社に居れ。帰ったら所長の自宅へ押しかけるからな」と言い残して帰宅した。松沢は、この申請人の言葉から申請人には何か自分に危害を加える意図があるのではないかと懸念していたところ、六時頃から始めた職場安全会議を午後七時半ころ終って、居残った若干の従業員と雑談していた午後八時三〇分ころ、申請人から松沢に電話があり、申請人は、今日は用事があったから帰ったということを言い、結局双方日曜日あけの三〇日(月)に話合いをしようということに合意した。

五月三〇日午前八時五〇分ごろ申請人は出社し九時頃松沢所長と話し合うべく営業所応接室に入ったが、申請人がノートを持ち込んで話合いの内容を逐一メモしようとしたため、松沢はメモをやめるように求めた。しかし、申請人は、言った言わぬという後日の紛争を防止する必要があるからと態度を変えなかったため、松沢は、腹を割った話合いをしようとしているのにそういう態度で臨まれては円満な話合いはできないとして二八日のトラブルを収束する話合いは進まず、その後申請人はとりなしを買って出た倉庫係の従業員と正午頃まで話し、同人から、「出張している岡崎所長代理が帰るのを待ってあす三人で話し合ったらどうか」と勧告され、同日午後は松沢の了解を得て帰宅した。

五月三一日、申請人は午前八時五〇分頃出社、当日も仕事を与えられないまゝ自家用車を洗ったり、営業所構内への出入口付近にコンクリートブロックを持ち出しこれに腰を下して本を読んだりしたのち、午前一〇時四〇分ころから営業所応接室において松沢所長、岡崎清人所長代理と話し合いに入った。当日も申請人がメモを取ろうとしたため冒頭にこれについて若干のやり取りがあったが、会社側は、申請人のメモを黙認したかたちで、まず五月二八日申請人が会社側の了解なしに職場安全会議を欠席したこと、自己本位の言動をして職場の秩序を乱したことにつき反省を求めた。これに対し、申請人は、自分の方には反省すべき点はない、やめろとまで言われて会議に残れる筈がないし、やめさせられた身では反省も何もないと反論し、解雇というのはどうなんだ、と松沢所長の発言の趣旨を質した。松沢は、「やめろと言ったことは取消す、こういう状態ではお互にまずいので前向きに話をしよう」と言い、岡崎代理から申請人に対して今後会社で仕事を続けて貰うについては〈1〉職場安全会議には出席する、〈2〉職場の同僚とよく協調して誠実に仕事をする、〈3〉車両の整備点検を十分にし、得意先の貨物積み下しの指示によく従う、といった点を守って欲しい旨申入れた。右〈2〉の申入れは、申請人が自分勝手な行動をとったり、その仕事がずさんで得意先から他の従業員が文句を言われるというようなことがあったりして、大阪営業所の運転手仲間から疎んぜられ、五月中旬頃からは他の運転手と口もきかないといった状態になっていたことに基づくものであり、右〈3〉の点は後述のとおり申請人の従来のやり方に不行届の点があると営業所幹部がみていたためであった。右申入れに対して、申請人は、考えておくというような返辞をして和解の態度を示したが、他方、長距離運送における一人乗務など無理な運行をやらせるな等の要求をしたほか、五月三〇日以降三日間の就業したらあげえたであろう賃金補償を要求し、さらに所長は申請人にやめろといった発言を取消したが、取消さなければならないような発言をした責任をどう取るのか、と言い出したため、右三日間について固定給は保障するがそれ以上は出せない、取消した発言について責任をとるつもりはないとする松沢所長らとの話合いはその日最終的和解に至らず、翌日再び話合いを重ねることになった。

六月一日、午前一〇時ころから申請人、松沢所長、岡崎所長代理の三人で再度話し合ったが、席上申請人が自分も生活していかなければならないから、一応会社の意向を容れて仕事をする旨答えたため、翌二日から従前どおり就労させるという合意ができた。もっとも、今後の問題について会社のいうことをきくと言っても「一応」とか「取りあえず」ということでは困るという松沢らの言葉に対して、申請人は「すべてにはいはいと言うわけにはいかない」「所長たるもの軽々しく取消さなければならないような発言をするな」といった趣旨の発言をして、未だ申請人と松沢らの間のわだかまりが全面的に氷解するというには至らなかった。

六月二日朝就業を予期して出勤した申請人に対し松沢所長は五月二八日の問題について始末書を提出するよう要求した。松沢としては、申請人を就労させるにしても、五月二八日の申請人の言動を全く不問に付すというわけにはいかない、従業員の間からも申請人の当日の行動には批判も強いことでもあり、けじめをつける趣旨で、安全会議に出ないで業務命令に反しかつ上司に暴言を吐くなどして職場秩序を乱したことにつき始末書を徴すべきだと考えての要求であったが、申請人はこれを拒否し、再び職場安全会議の開始が遅れたことの責任の所在、申請人が帰宅した理由などをめぐって議論することになってしまったため、申請人は結局その日は就労できないままに終った。

こうした経緯から自分の手に余ると考えた松沢所長は、同日岡山支店長に事情を説明して指示を仰いだところ、事情を聴取するから明日申請人を岡山支店へ出頭させよ、という指示を受けた。

六月三日朝、松沢は、申請人に対し、岡山支店長の下へ出頭して五月二八日の件で事情を説明するよう伝えたが、申請人は、自分だけ出頭するのでは片手落だ、所長もゆくべきだと言って、にわかに応じなかったため、それでは明日にでも岡山支店長に大阪営業所の方に来て貰うようにしようと答え、電話で申請人の意向を岡山支店長の方へ伝えたところ、岡山支店長からは、今日の終業後組合は執行委員会を開くということで、申請人もこれに出席するため岡山へ来る筈だから、二時間程時間を繰上げて岡山へ来るよう指示せよということであった。そこで、松沢はその旨を申請人に伝えたが、申請人は所長と私の問題で他は関係ないといったことを述べて、岡山支店長の下への出頭を承諾しなかった。当日申請人は自己の乗用車で岡山へ行き、午後六時頃から岡山支店で開かれた組合の執行委員会に大阪営業所選出の執行委員として出席し、会議終了後再び車を運転して六月四日の明け方大阪営業所に帰着し、車の中で仮眠した。

六月四日始業間もなく松沢所長は、岡山本社から、本日午後二時から岡山において申請人について懲罰委員会を開くから申請人と共に出頭するようにとの指示を受けた。そこで松沢は、申請人の自宅へ電話するなどその所在を捜すうち、午前一〇時前頃申請人が営業所構内の自家用車の中で仮眠していることを知り、懲罰委員会への出席方を伝達した。しかし、申請人は、寝不足で疲れているから行けないと拒否したため、当日開かれた懲罰委員会には松沢所長だけが出席して五月二八日のトラブルをめぐる事情とその後の情況を説明した。

この懲罰委員会というのは会社と組合の間に結ばれた労働協約三四条に基づくもので「懲戒の公正を期するため、懲罰委員会を設置し事前に事実の審理及び認定にあたり、その結果を会社に報告する。」ものとされ、その性格については同協約三五条で会社の諮問機関とされている。また、委員会の構成は、会社及び組合双方より選出された各三名の委員により構成され、委員長は会社の役員がこれに当ることゝされているもので、当日の懲罰委員会も委員全員(委員長を入れて七名、他に会社側から常務付一名)が出席したが、申請人が出頭しなかったため、改めて同月七日申請人の出頭を求めて事情を聴取したうえ懲戒の当否を検討するということで散会となった。

六月七日午後六時ごろから再び委員全員出席の下に開かれた懲罰委員会には申請人も参考人として出席したが、委員長である常務取締役新楽茂樹が申請人に対し五月二八日のいきさつについて説明を求めたのに対し、懲罰委員会の討議事由を書面にしてくれ、そうでなければ、どういう事実が問題にされているのかわからないので答えられないと答弁したため、改めて松沢所長に経過を説明させたのち、委員長は所長の述べた事実関係に間違いないか、業務命令違反のあったことについて弁明すべき点はないかと質したが、申請人は文書にしてくれ、との要求を固執して口頭聴取は進行しなかった。結局当日の懲戒(ママ)委員会では、申請人の弁疎不十分のまゝ結論を出すことになったが、組合側委員は減給と七日間の出勤停止が相当とし、会社側委員は懲戒解雇相当として、見解が二つに分かれたまゝ委員会は閉会された。

会社は、右懲罰委員会の結果に鑑み、申請人を懲戒解雇より一段軽い諭旨解雇(諭旨退職)処分に付することにし、前記のとおり六月一〇日これを申請人に通告した。

4 会社が本件解雇通告書においてあげている申請人の従前の所行その他同僚との関係等についてはつぎのような事実が認められる。

(一)  昭和五一年一〇月三日尾道市内で自動車の接触事故を起した際、事故の相手方に対し胸部を二回手で突くなどの暴行を加えたとして警察に逮捕され、同月五日暴行罪で起訴され、即日尾道簡易裁判所から略式命令により罰金一万円に処せられると共に、会社でも直ちに懲罰委員会にかけられて懲戒処分に付され会社に始末書を提出した。

(二)  同年夏ころから自己の乗務する会社車両にアマチュア無線機を取りつけていたため、これを知った松沢所長から他の乗務員が乗車することもあれば交通事故が起ることもあり、無線機が故障した場合その原因や補償をめぐってトラブルの原因になることなどを理由に取りはずしを度々指示されたが、申請人は、自分の唯一の楽しみだ、所長の要求は基本的人権にかかわることだ等と反発して容易に応じず、会社から正式に日限を切って取りはずしを命じられて漸く同年一一月ごろ取りはずした。

(三)  同五二年二月一四日水濡れ厳禁の荷物を三重県一宮市へ運送するに当って申請人がシートを一枚しか掛けていずそのため積荷の下部あたりがむき出しになっているのを見とがめた松沢所長が雨降りが懸念されるからシートを二枚掛けにするように指示した。これに対し、途中雨は降らないだろうし、たとえ降ってもその場でシート掛けはできると判断した申請人は、濡れたら責任をとるなどといって所長の指示に従わず、掛けろ、掛けないのやりとりを見兼ねた倉庫係と岡崎所長代理が手伝ってやるからと申請人を促した結果漸く二枚目のシート掛けをした。

(四)  その他、トラックの計量をしないで帰ったり、荷送り状を持っていかなかったり、荷主側の荷下しの指定時間を守らなかったり、当然すべきことになっている傭車の荷下しをしなかったりしたことなどが幾つかあって、他の運転手がそのしりぬぐいをさせられたり荷主から文句を言われたりすることがあった。

(五)  右(四)のような事情と営業所内外で比較的自己本位に振舞い、同僚のしたことに気に入らぬ点があると怒鳴ったりすることがあって、同僚との和合を欠き、前記のとおり昭和五二年五月一五日頃からは全く孤立した状態に陥っていた。しかして、五月二八日の職場安全会議の前後ころ松沢所長に対して申請人をやめさせろと要求する者があったため、松沢が、皆がどう思っているのか、はっきりした形で意見を確認して持ってきてくれ、と言ったのがきっかけで、六月三、四日頃管理職以外の従業員一〇名に対して無記名投票のかたちで申請人の解雇につき賛否を問うた結果、一名が入社間がないということで意見を留保したほか他の従業員は全員解雇に賛成という結果が出た。こうした事情を背景に、組合も昭和五二年七月二〇日付で、組合員に対し、本件解雇処分はやむを得ないものとして承認する旨を表明するに至っている。

三  さて、解雇通告書において被申請人が主張する事由は本件懲戒処分(諭旨解雇)理由となりうるであろうか。以上の疎明事実に基づいて順次考察を加える。

(一)  五月二八日職場安全会議に際しての松沢所長に対する申請人の言動及び同会議への欠席について

当日の松沢所長に対する申請人の言動には、いたずらに感情に流れて企業の従業員としてわきまえるべき節度を越える点が認められる。すなわち、申請人においてそれなりの理由があって会議に居残ることができなければ穏かにその旨を申入れゝば、松沢所長もこれを許したであろうと思われるところ、その物の言い方において、無用の摩擦を生ぜしめ、果は「会社も従業員も気にくわん」等の非建設的言辞を弄して松沢の感情を刺激し、ついには「やめてくれ」という言葉を誘発し、自らもそうまで言われて居残れないと帰宅するに至ったというのであって、当日の申請人と松沢所長のトラブルは、これを全体的に考察すれば要するに申請人の物の言い方の悪いことに端を発した喧嘩口論であるが、当日のトラブルを招いた責任は申請人にあると一応言いうる。しかしながら、そうだからと言って、直ちに申請人の言動をとらえて業務命令違反とか秩序紊乱とかいうことは問題である。飜って、当日の申請人の言動がどのような不満に基づくものかを考えてみる必要がある。

被申請人会社における職場安全会議は、会社が業務遂行上の安全対策の一環として当該職場全従業員の出席を求めて開催するもので、会社の設定した施策の伝達及び従業員の安全教育のためにするものであることに鑑みると、これを会社業務行為とみることができると同時に、従業員の職場安全会議への出席時間は労働時間として観念されるべきであり、従ってまた会社の業務の性質上会議を就業時間外に開催せざるを得ないときには、会社は本来従業員に対して時間外賃金を支給すべき義務を負っているといわなければならない。

被申請人会社では職場安全会議が時間外に行われ、大阪営業所においては午後六時頃から開催されることが慣行となっており、かつその出席時間に対して固有の時間外手当は支給されていないこと、これに対し従前組合又は申請人を含む従業員から別段異議が唱えられたことはないことが疎明されるが、労働協約あるいは就業規則上の終業時刻が午後五時になっている以上、労働者に不利益な右の慣行を理由に時間外手当を支給しないで会議への出席を業務命令によって強制することはできないというべきである。疎明によれば、被申請人と申請人の属する組合との間に結ばれた労働協約には、労働基準法三六条に基づく時間外労働に関する協定条項が含まれているが、被申請人が右協定に基づき申請人らその従業員に対し業務命令として右就業時間外の職場安全会議への出席を要求できるのは、同法三七条の定める時間外賃金を支給するときに限られ、そうでない限り、職場安全会議の性質が業務行為であっても労働者に出席を強制することはできず、本来これへの出席は任意的なものと解するほかはない。この点に関して、疎明資料(松沢宏明の陳述録取書)の中には、会社が申請人らに支給している「運行手当」は、職場安全会議への出席時間に対する手当等を含む趣旨で支給されている旨の供述記載があるが、にわかに措信しがたく、他に右供述を裏づける資料もない。

以上の考察によれば、従来の被申請人会社及び大阪営業所長の職場安全会議に関する実施方法ないし労働者に対する処遇は、労働基準法の規定ないしその理念に違背するということになり、申請人が松沢ら会社管理職のやり方とこれを受け入れている従業員仲間に対する不満をぶちまけたとしてもそのこと自体無理からぬところで非難することはできず、ただ上司に対するその言葉使いに配慮を欠きあるいはその言動にゆきすぎが認められるというにとどまり、また帰宅してしまって職場安全会議に出席しなかったことをもって業務命令違反ということもできない。当日の申請人の行為は、いまだ解雇をもって臨んだ本件懲戒処分を是認するに足る事由とはなりえないといわなければならない。

(二)  六月二日の始末書不提出について

前顕労働協約によると、会社は組合員たる従業員を懲戒処分としての譴責、減給、出勤停止、降格、諭旨解雇の各処分に付したときに従業員から始末書を徴する旨を規定しているところ、企業において一般に行われている始末書提出というのは、被処分者に、自らその非違行為を確認し使用者に対して謝罪の意思を表明すると共に将来非違行為を繰り返さないことを誓約する旨を書面に認めさせて提出させるものであって、これが懲戒処分として行われるときは、被懲戒者はその提出義務を負うという法的効果を生ずると解される。

ところで松沢所長が申請人に対して始末書の提出を要求したのは、右のような懲戒処分の付随処分としてではないから、単に大阪営業所長としての管理権ないし監督権に基づくものとみるべきところ、一般に業務管理者がその監督下にある不始末をした従業員に対し始末書の提出を求めること自体は、事実行為としてこれをなしうる。換言すれば違法とまでは言えないと解される。しかし、この場合、任意にこれに応じない従業員に対しては、もはや業務命令というかたちで提出を強要することや、不提出を理由に更に不利益な取り扱いはできないといわなければならない。けだし、始末書の提出はさきにみたとおり、労働者の良心、思想、信条等と微妙にかかわる内的意思の表白を求めるものであるから、不都合な行為とされる行為自体が所定の手続を経ることによって一定の明確な基準に照して非違行為とされ、かつその提出について就業規則又は労働協約等に根拠規定がある場合に限って法的効果を伴う提出義務を課することができると解するのが相当だからである。

本件についてこれをみるに、松沢所長が申請人に対して求めた始末書提出は、「申請人が業務命令に反して職場安全会議を欠席し、かつ職場秩序を乱したこと」についてであるが、これはさきに検討したとおり、始末書提出の理由に乏しい上、松沢の提出要求は単なる事実行為であって、業務命令として法的効果を伴うものとはなりえないから、申請人がその提出要求に応じなかったことをもって業務命令違背ということはできず、また懲戒事由とすることもできない。

(三)  六月三日岡山支店長の出頭命令に違背したことについて

右の点については一応命令違反の事実が認められることさきにみたとおりである。しかし、右違反は、会社の本質的業務命令に違反したというものではなく、松沢所長とのトラブルに関する事情聴取といういわば派生的事項にかかわる命令に違反したというものであり、そもそも岡山支店長の出頭命令自体申請人がたまたま当日組合の執行委員会出席のため岡山へ行くということから便宜的に出頭を指示したもので、正規の出張旅費、出張手当の支給が予定されていたという証拠もないから出頭命令ということ自体に若干疑問があり、申請人の業務命令違背性は、たとえこれを認めうるとしても軽微なものというほかなく、従ってこれだけを取り上げるときは解雇相当の懲戒処分事由とすることは許されないと解される。

(四)  六月四日の懲罰委員会への不出頭、同月七日の同委員会における陳述拒否について

前示労働協約三四条二項は、懲罰委員会の組織並びに運営に関し同協約第一二章に規定する苦情処理委員会に関する規定を準用しており、その準用規定によれば、懲罰委員会は実情把握のため必要な調査をなし又は関係人を委員会に出席させて質問することができることになっている。申請人に対する懲罰委員会への出頭指示は、右委員会の調査権に基づくものと思われるが、会社の主張する事由が懲戒処分事由となりうるかは大いに疑問である。

まず六月四日の不出頭の点であるが、申請人に対する当日の懲罰委員会への出頭指示は、同日午後二時から岡山市で開かれる委員会への出頭をその日の午前一〇時前に堺市の大阪営業所において伝えたというもので、申請人側の事情なり都合を全く顧慮しない余りに性急かつ一方的な喚問ということができ、右常識にはずれた呼出し方及び申請人が当時置かれていた情況に鑑みると、申請人が喚問に応じなかったとしてもこれを非難することはできない。つぎに同月七日の懲罰委員会における申請人の態度であるが、専ら書面を要求して口頭で十分事情説明できる事項についてまでこれを拒んだという点を把えれば、頑なに過ぎあるいは誠実さに欠けると評することができるが、本来懲罰委員会は会社の懲戒権の行使が適正公平に行われることを目的とし、その限りで調査権が認められているが、懲戒処分対象者が委員会の事情聴取に素直に応じないために、十分にその調査審理を尽せず、そのために被処分者に不利益な結論が導かれることがあるとしてもやむを得ないところで、事柄の性質上委員会で処分対象者に対し陳述を強制する権限はないといわなければならない。

飜って考えるに、まず第一に、申請人に対して懲罰委員会への出頭を指示した主体は、同委員会又は委員と解するほかないところ、懲罰委員会は労働協約に根拠を置く会社の諮問機関として会社とは一応独立した機関であるから、懲罰委員会への不出頭又は同委員会における陳述拒否等の調査に対する非協力をもって直ちに会社又は上長の命に対する反抗ということはできないはずであり、第二に申請人も右労働協約を遵守すべき義務を負い、従って懲罰委員会が十全に機能するよう協力すべき義務を負っているということは一応言えるとしても、証人的立場で喚問を受ける場合と懲戒対象者として喚問を受ける場合とでは、その対応の仕方が全く異ってくることも事柄の性質上当然のことである。会社が解雇通告書でいうところは、これらの区別を認識しない議論といわなければならない。

かようにして、会社のいうところは単なる事情としてならともかく、懲戒処分事由とはならないと言うべきであろう。

(五)  申請人の過去の行状と総合的評価としての不適格性について

被申請人が、申請人を本件諭旨解雇処分にしたのは、以上個別的に検討してきた(一)ないし(四)の事実を主としながらもそれだけに限らず、過去の非違行為をも併せ考慮し、各事由を総合評価したうえであることは、その解雇通告書において「以上種々貴殿の目に余る非常識な言動や仕事振りからして、当社の社員として不適格であり、(中略)社内規律の保持と安全作業の遂行の二点から貴殿を引続き雇用する事は出来ない」と述べていることから明らかである。そこで検討するに、確かに、昭和五一年夏ごろから同年秋にかけて会社車両に無線機を取りつけて容易にこれを取りはずさなかった行為、昭和五二年二月一四日積荷にシートを二枚掛けるべく命じられてこれに反抗した行為については、会社側の命令指示にそれぞれ合理的理由があり、申請人の行為は上長の命令に反抗したものということができる。しかし、これまで検討してきたとおり、被申請人が本件懲戒処分の主要な理由とし、また処分のきっかけとなった職場安全会議以後における申請人の各所為がいずれも本件解雇処分事由となりえない以上、これら過去の業務命令違反だけでは本件処分を肯認しうる事由となりえないと言わざるを得ない。

ここで改めて労働協約三八条及び就業規則六三条の各三号を振返ってみる必要がある。同号は上長の命に反抗したことをもって直ちに解雇事由とするのではなく、上長の命に反抗したり又は越権専断の行為をしたことによって、その結果「職場の秩序を乱し、或は業務に重大な支障を与えたもの」と規定し、かつそういう事実があっても情状によっては減給、出勤停止、降格等にとどまることがあるとするのである。従って、懲戒解雇又はこれより一段軽いとはいえ職場からの最終的追放という極めて重い処分である点で懲戒解雇と並ぶ諭旨解雇を右三号を理由に選択することができるのは、上長の命に反抗し、その結果業務に重大な支障を与えた場合又はそれに匹敵する程度の秩序紊乱を招来した場合と解さなければならない。申請人が無線機を容易に取りはずさなかったこと、シート掛けの命令に反抗したことは、いずれも業務に重大な支障を生じたとかそれに匹敵する秩序紊乱があったとまではいえないと思われるし、また、既に収束を見ている事柄であるうえ、手続的にみても事前の審理機関である懲罰委員会においてこれらの命令違反が問題にされた形跡はないのである。

申請人の過去に、積荷のトラック計量をせずに帰宅したとか送り状を持参しなかったとか着地荷下しの指定時間を無視したとかの業務遂行上の落度があった点は、業務遂行上通常みられる若干のミスと評しうる余地があり、またそれ自体としては業務命令違反を理由とする本件解雇事由としうる根拠に乏しいことは多言を要しないであろう。

ただ、以上の申請人の過去の行状と職場安全会議以降の前示の言動に加えて、昭和五二年五月中旬の時点ですでに大阪営業所の他の従業員仲間から疎んぜられ、あるいは申請人の解雇を希望されるようになっていた事実を総合すると、申請人はかねてから自己の立場を固執しあるいは自己本位の言動によってとかく職場の仲間や上司との間に無用の摩擦を生じ、職場の和を害する傾向があったことがうかがわれ、それが多分に申請人の性格に根ざすとみうる余地もあるところ、申請人のこの非協調的性格を被申請人が改善困難とみ、また雇用関係の継続が職場の調和を乱しひいて業務の円滑な遂行を阻害すると判断して「当社の従業員として不適格」と結論したものだとすれば、それはそれなりにわからぬではないが、仮にそのような理由によって申請人との雇用関係を解消しようというのであれば、自ら別異の手続によるべきであって、本件のように根拠に乏しい懲戒処分というかたちで解雇することは許されないといわざるを得ない。

(六)  以上を要するに、本件諭旨解雇処分は、労働協約及び就業規則上の懲戒規定の解釈適用を誤ったものとして無効と解されるから、不当労働行為の成否について判断するまでもなく、申請人は依然として被申請人会社大阪営業所の従業員たる地位を有し、被申請人に対して賃金請求権を有しているということになる。

四  そこで、保全の必要性について判断するに、申請人は本件解雇当時被申請人会社から毎月八日前一ケ月分の賃金として平均二五万三六八〇円の賃金を支給され、これに自己と家族(手に職を持たぬ妻と三才になる幼児一人)の生活を依拠し借家住いをしているもので、他にこれという資産を持たぬことが疎明される。してみれば、申請人には被申請人の従業員たる地位が保全されかつその生活を維持するに足る金員の仮払を受ける必要性があるということになるが、申請人が自己と家族の生活を保持するうえで毎月どの程度の金額を必要とするかについて考えてみるに、世上一般に賃金生活者はその賃金収入全額を基礎に生活設計をしているのが通例であること、いま仮に右申請人の平均賃金額相当の金員の仮払を認めたとしてもその年間総額は三〇四万余円で、これは現在のわが国における世帯持ち賃金生活者の平均的年収額に比して多すぎるものではないことなどに鑑みると、申請人も前記平均賃金相当額を必要とするものとしてその仮払請求を認容するのが相当である。

五  以上のとおり、本件仮処分申請は全部理由があると認められ、かつ事案の性質上保証を立てしめるのは相当でないから申請人に保証を立てさせないで、本件申請を認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 香山高秀)

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